今日予定されていたウォーキングは昨日の夜のうちに中止になりました。
結果論ですができましたねえ(^_^.)
せっかく帆船祭りで賑う水辺の森公園をゴールにしていたのに・・・あの予報ではしょうがありません。
文句は気象庁に言いましょう。
本蓮寺の途中ですが、勝海舟つながりでちょっと寄り道(^^)/
勝海舟は長崎で美しい女性に出会い、Yes,fall in loveになりました![]()
お相手は「お久」さん・・・本名小谷野クマまたは梶クマ 当時14歳。
勝海舟は幕府の役人で当時33歳。江戸に妻子を残していました。
今風に言うと・・・
「妻子ある国家公務員が 単身赴任先の長崎で14歳の女性と恋に落ちた」
となり、ちょっとしたスキャンダルになってしまうような話です。
でもその時お久さんはもうすでに後家さんだったと言いますから、今の時代に例えること自体が間違いですね<(_ _)>
そのお久さんのお墓がこの聖無動寺の後山にあります。
35年ほど前、NHKの大河ドラマ『勝海舟』が放映された頃、筑後町に住んでいる方が見つけたお墓です。
↑ 左がお久さんのお墓です。
戒名である「容誉智顔麗光大姉」の文字が刻まれています。
さぞや美しい方だったんでしょうね。
今日は市立図書館の新興善メモリアルでくんちや龍踊についての座学を実施しました。
↑ 映像を見ながらお勉強(^-^)
新人メンバーや囃子の子供と父兄、経験者の龍衆など参加者多数!満足してもらえる内容だったかどうかは分かりませんが、少しは参考になったかなと・・・
今日初めて参加するメンバーもいて一定の成果はあったような気がします。
勉強会終了後は場所を移して前回(平成14年)の映像を見ながらモチベーションを高めました。(要は飲み会ですが(^_^;))
経験者は懐かしく、新人は新鮮な目で熱心に語り合いました。
これからも体力作りの一方でこのような機会を設けようと思います。
それにしても・・・みんな若かったなあ(*^_^*)
本蓮寺の入口には前に紹介した「サン・ジョアン教会・サン・ラザロ病院跡」の碑のほかにもう一つ碑があります。
勝海舟が滞在した場所でもあるんです!
江戸時代、長崎にはたくさんの人が訪れましたが、幕府の直轄領ということもあって宿屋は存在しませんでした。
ではどんな所に寄宿したかというと、藩屋敷やお寺がそれに当たります。
本蓮寺には多くの塔頭(たっちゅう=大寺院の敷地内にある別房・脇寺) があり、そこが宿坊になっていたのです。
勝海舟が滞在したのは「大乗院(だいじょういん)」と呼ばれた塔頭で、どのへんにあったかと言うと・・・
↑ ここ
今は「長崎県教育文化会館」になっているところです。昔は「ヘルスセンター」でした(^_^;)
勝海舟は、安政2年(1855年)から約4年間、ここから今の長崎県庁の場所にあった「海軍伝習所」まで通っていたということです。
幕末の長崎については23日から開催の「長崎さるく幕末篇」で詳しく学べます。詳しくはこちら→長崎さるくHP
昨日は定例の会議がありました。
主に小屋入りの打ち合わせに時間を割いたのですが、これがなかなかのボリュームで大幅に時間超過してしまいました。
誰と誰が紋付を着るだとか、誰が打ち込みにつくとか、アルバイトはどうするとか、昼食はどうするとか、桃饅頭はどうするとか、写真はどうするとか、何時に終わるだろうかとか・・・
小屋入り以外にも各担当から報告がありました。
進んでいる話もあり、足踏みしている話もあり、手をつけていない話もあり・・・
もう少しペースを上げる必要を感じました。
でも取りあえず「一つずつ、一つずつ」です。
お墓ついでに広大な本蓮寺の墓所にある有名な方のお墓をもう少し・・・
↑ 有名な郷土史家・古賀十二郎先生のお墓です。吉永小百合さんが主演された映画「長崎ぶらぶら節」では渡哲也さんがこの方を演じられました。5月の博多座「石川さゆり特別公演」では同じく「長崎ぶらぶら節」の舞台があり、近藤正臣さんが演じられます。
↑ 江戸末期の文人で長崎三筆に数えられる南画の大家、三浦悟門の墓です。新しく作られたみたいですね。
↑ 「村木
↑ その2で紹介した「高木作右衛門」とそっくりな名前「高木彦右衛門」の墓です。写真では分かりづらいですが結構大きなお墓です。元禄時代の筆頭町年寄で、「長崎喧嘩騒動」の当事者として知られています。詳しくは述べませんが、その騒動でお家断絶になったにもかかわらずこの大きな墓!当時の長崎商人の勢力が偲ばれます。
↑ こちらは歴史上の有名人のお墓ではありません(個人的知人関係のお墓です)が、オシャレさんなのでご紹介します。
ここは名字のイニシャルが『H』のお宅のお墓・・・・ん? 門扉の横に『H』が!!
ご本堂の近くです。探してみてください(^^)/
本蓮寺が元キリシタンの大村善前の命でキリスト教の施設跡地に建立されたのは江戸初期のことでした。
その後本蓮寺は長崎の三大寺に数えられる名刹となるわけですが、残念ながら昭和20年の原子爆弾による火災で全焼してしまいます。ですから今見ることができる建物は戦後再建されたものです。
しかしその広大な墓地には本蓮寺が長崎を代表する寺の一つであったことを物語る墓碑がいくつもあります。
それは「長崎奉行」の墓です。
幕末までの間に15名の奉行が長崎で客死していますが、そのうち4人の墓が本蓮寺にあるのです!
↑ これは大屋遠江守明敬という方のお墓です。
長崎奉行のお墓があるってことは即ち格式が高いことを意味します。
奉行だけでなく長崎代官の墓も!!
↑ 長崎代官 高木作右衛門家の墓です。
結構山手にあるので本堂から歩くとちょっと遠いです。
それはともかく・・・本蓮寺はそれほど格式の高いお寺なのです。
本蓮寺(ほんれんじ)は皓台寺(こうたいじ)・大音寺(だいおんじ)と並んで長崎の三大寺に数えられる名刹で、元和6年(1620年)、大村の本経寺(ほんきょうじ)の住職・日惠(にちえ)が開いた日蓮宗のお寺です。
その前は
キリスト教の教会とハンセン病患者のための病院があった場所です。
ポルトガル船を受け入れるために長崎の港が開かれて町が築かれると、長崎には教会・病院・学校など多くのキリスト教関連施設ができ、多くの外国人が見受けられたことから、のちに「小ローマのようだった」と言われるほどになりました。
この場所はその中でも大きな規模の施設だったようです。
その当時の遺跡がこちら ↓
今はふたをされて中を見ることはできませんが、当時使われていた井戸が残っています(中庭にあるので見る時はお寺の方に声をかけましょう)。
慶長19年(1614年)徳川幕府の禁教令で教会が破却されたこの場所に建てられたのが本蓮寺なのです。
この場所にお寺を建てるように命じた(お寺ができた時には既に亡くなっていた)のは大村善前(よしあき)です。
日本で最初のキリシタン大名であり、長崎にキリスト教文化をもたらした張本人の一人である大村純忠の息子で、自らもキリスト教の洗礼を受けていた善前が、教会跡地にお寺を建てるというのは皮肉な歴史です。
ウォーキングと言うよりも「山登り」でした。
海抜(たぶん)10数メートルの中町公園から幣振り坂を上り、立山バス停を経由して標高366メートルの金毘羅山の頂上に向かいます。
途中の金刀比羅神社のそばには「竜神社」という私たちには縁起のいい名前の小さな社がありましたので、しっかりお参りしました(写真撮り忘れ(^^ゞ)。
日頃の運動不足を痛感するメンバーもいましたが無事登頂!
頂上では初顔合わせも多かったので一人ずつ自己紹介もやりました。
天気も良くて気持ち良かったです。
帰りは直接筑後町に帰る組と江平方面に遠回りする組に分かれての下山です。
遠回り組は出発から到着まで約3時間、たっぷり汗を流しました。
参加する人数は約半分くらいと寂しい数字ではありましたが、良い汗かいたし、色んなメンバーと話ができたし・・・なかなか有意義な一日となりました。
今朝の長崎新聞に記事が載っていました(以下引用)。
長崎伝統芸能振興会(松藤悟会長)は八日、今年の長崎くんち(十月七-九日)に出演する踊り町の出し物を発表した。今籠町が五十七年ぶりに登場し、「本踊り」を奉納する。
踊り町は、今籠町のほか▽上町「本踊り」▽元船町「唐船祭」▽鍛冶屋町「宝船・七福神」▽油屋町「川船」▽筑後町「龍踊り」。各町とも傘鉾(かさぼこ)も奉納する。
とあります。
もちろん各町ともずっと前から準備を進めており、事実上とっくに決まっていたことなのですが、こうして新聞発表されると「いよいよ」という感じがします。
出し物の名前ですが、筑後町は7年前の会議の中で 『龍踊』 と 「り」 をつけない表記をするように申し合わせていますので、この新聞発表はちょっと違います。
ところで・・・
記事はこの後、今籠町さんのことについてしか触れられていません。
57年ぶりの復活ですし、さだまさしさんが名誉奉賛会長就任(今朝の新聞には載っていませんが)という大きな話題もありますので、報道各社の取材が今籠町さんに集中するのは予想されたことです。
正直ちょっとだけ嫉妬してしまいますが、そんな狭い心ではいけません。
今年のくんちは水・木・金曜日・・・
どんな内容であれ、新聞・雑誌・テレビやラジオが今年のくんちを取り上げてくれて、一人でも多くの人が関心を持ち、本場所に足を運んでもらうことは非常に大事なことだと考えます。
今月から毎週エアロビで、明日はその初日!
・・・のはずが中止になってしまいました(;_;)
なぜならば明後日は入学式、つまり明日はその準備で椅子などが並んでいるからです。
代わりに「何かトレーニングを」とも考えましたが場所の手配がかなわず、ウォーキングにしようかとも考えましたが公民館がない我が町では着替える場所もなく・・・泣く泣く中止にしたという次第です。
「入学式前日に体育館を貸し出す学校ってアリなのかな?」というようなことは全然これっぽっちも思っていませんよ(^^)v
ところで明日はエアロビのほかにもう一つミッションがありました。
それはTシャツの見本を見て、サイズを決めてもらうという作業です。
体育館は使えなくてもそれ↑はできるというワケで、明日ちゃんとサイズ見本持って行きます。サイズを確認したい人は集まって下さい(^_^;)
今月22日には龍衆や囃子の保護者を対象として、長崎くんちや龍踊についての勉強会しますが、それに加えて5月に諏訪神社で神職の方からお話を伺う計画を立てました。
新人・とりわけこれまで長崎くんちとの接点が少ないメンバーが多い今年の筑後町では、このような機会を取り入れて踊町としてふさわしい心構えを養う必要があるという判断です。
今日はその打ち合わせで諏訪神社に行って来ました。
↑ ここに来ると身が引き締まります。
↑ こちらは長坂の上から踊り場を見たところです(今日は穏やかな日差しの中、高校生ボクサーがトレーニングをやってました)。
趣旨をご説明し、諏訪神社の歴史・長崎くんちの在り方・参拝の仕方などをお話しいただくようにおねがいしたところ、快くお引受けいただきました。
「これまで神社で龍衆や根曳き衆がそのような勉強会をしたことはないかもしれないけれども、たいへん結構なことだと思います。」
との言葉をいただきました。
当日は午前中ウォーキングの自主トレもあり、ちょっとたいへんかも知れませんが、くんちに向けて間違いなくいい機会になることだと思います。
今日は衣裳の原型モデル採寸を行いました。
どういうことかと言うと、監督・龍衆及び囃子男性・宝珠・囃子女性用チャイナの4種類の原型・・・分かりやすく言うと試作品を製作するための採寸です。
今日行った採寸を基に4種類の衣装を1着ずつ作り、問題点をチェックして全員分の衣装を作るという段取りです。
不覚にも採寸しているところの写真を撮り忘れたので、衣装を担当してもらっている方の写真をUPします。
左は衣装とTシャツ制作窓口の平野さん・・・長崎で衣類関係の仕事をされています。
右はデザインをして下さった老松さん・・・東京で服飾のみならず色んな分野のデザインを手がけられています。
これまでは一線で活躍されている東京のデザイナーさんに衣裳のデザインをお願いするということはありませんでしたが、今回幸運にも平野さんのアレンジでこのようなチャンスに恵まれました。
老松さんは長崎出身ということもあり、「くんちの衣装」に理解も深く、快く引き受けて下さいました。
今日はお二人と衣裳全体のイメージはもとより、袖、裾、靴、腰紐、宝珠の冠といった細部まで意見交換ができて大変有意義な一日になりました。
こだわれるところは少しでもこだわって、少しでもいい衣装で踊り場に立ちたいです。
今年の筑後町は衣裳にも注目してもらいたいですが、衣装負けしないようにもしなきゃですね(^_^;)
今年の筑後町龍踊の目玉はいくつかありますが・・・新年度になったからネタばらしします。
今年、筑後町は3頭の龍すべてを新調し、それぞれ紫・橙・桃色というこれまでにない色にして3頭連なった踊りを披露します。
名づけて「サンレンジャ(三連龍)!!!」
さらにその中の桃色の龍(モモレンジャ)は女性龍衆のみで持つ趣向にします。
玉については「月を表す」という発想から、従来の球形だけという固定観念から脱皮し、満月・半月・三日月の三種類を用意します。
まったく今までにない新しい龍踊を披露できるものと確信しています。![]()
エイプリルフールです・・・あくまで![]()
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